― 引き寄せたら、言い直さない ―
一度引き寄せたら、「私はちゃんと引き寄せた」と決めてしまう。そのあとで、あれこれ言わないこと。これが何より大切です。
シャボン玉も同じです。「私はシャボン玉を作った」と、まず決めてください。もちろん、「本当にできているのかな」と疑う自分も半分はいるでしょう。
それはそれで、自分の一部ですから仕方ありません。けれども、もう一人の分身と繋がっているもう一方の私は、「いいえ、そうは思わないのよ」と、言い直すように声に出してみてください。
「ああ、今日は引き寄せられなかったかも」と思ってしまっても、大丈夫です。「あ、また癖が出ちゃったな」と気づけたら、その場で「さっきはそう思ったけれど、今の私は違う」と切り替えて、言葉にしてみてください。
向こうは、言葉を「音」として受け取ります。どうせ拾わせるなら、できるだけよい言葉、きれいな言葉を届けてあげましょう。
受け取り方は、人それぞれです。エネルギーとして感じる方もいれば、映像が浮かぶ方、体で感じる方もいます。また、香りを強く感じるという方も多いようです。

― 繋がりと「時間の差」 ―
かつてこんなふうに伝えてくれたことがあります。「心を繋いでいて、もやっとしてきたら、もう一度繋ぎ直せばいい。ほら、今すっきりしただろう?
そのときは、ちゃんと繋がっているんだよ」と。
波動を理解し、潜在意識を引き寄せられるようになるまでの時間は、人それぞれ違います。それは、「家が近いか、遠いかの差だよ」と表現していました。早くたどり着ける人は家が近く、時間のかかる人は少し家が遠い。ただそれだけのことで、優劣ではないのです。

― 思い出すこと、ブロックを外すこと ―
時間の差はあっても、最初の一歩は同じです。余計な思考を手放し、自分のバランスを保ちながら、その「やり方」を思い出すこと。
「人間のことは、我々にもわからないんだよ。君たちと波長を合わせようとしているからね」と言います。人間と直接繋がるのではなく、そもそも人間の言葉そのものがわからない、というのです。
それでも「思い出す」ことについては、こう言っていました。「自分で知る術があるのは、いいことだろう。
その方法は、初めて手にするものじゃない。あなたたちの中に、記憶としてちゃんとあるんだ。ただ、頭ばかり使ってきたから忘れているだけ。だから、思い出すのは楽しいことなんだよ」と。
そうやってひとつずつブロックを外していくと、体の錆も、心の錆も落ちていきます。今、シャボン玉の中にいる皆さんは、まさに浄化されている最中です。浄化とは、シャボン玉がどんどん光っていって、やがて「あ、自分は光っているんだ」と気づくこと。
これは頭で理解することではなく、体で感じる体感です。気づいた瞬間に「そういうことか」とわかり、少しずつ目覚めていきます。すると、自分にとって必要のないエネルギーが、頭ではなく体感としてわかるようになっていくのです。
頭は本来、仕事や日々の暮らしといった、肉体を動かすために使うもの。サンクチュアリィがしているのは、それとは別の「もう一人の自分」を目覚めさせることです。だから、小さな頭であれこれ考えるのは、いったん止めてみてください。

― 宇宙の視点から自分を見る ―
「宇宙は、私たちのいる場所から見てごらん」と言われます。心のあるところまで上がっていって、そこからもう一度、自分自身を眺めてみるのです。肉体から伸びた一本の命のラインで繋がった自分を、天井から見下ろすように見てみる。いわば、自分との初対面です。
さらに高く、宇宙の高さまで上がって見下ろすと、日々悩んでいることや、あれこれ言い合っていることが、どれほど小さなことかがよくわかります。できるだけそうした小さなことに巻き込まれず、魂との繋がりを大切にできる自分になっていきましょう。とはいえ、人間には感情がありますから、簡単なことではありません。
「私たちはいつも見ているし、すぐそばにいる。だから不安になる必要はないんだよ」と。不安だからこそ、つい余計な言葉があふれてしまうのかもしれません。
けれども、わからないときや不安なときほど、立ち止まってみてください。「我々に聞かずに、わかることなんてあるかい?」と、いつも言います。未来は、人間にはわかりません。でも彼らにはわかる。
「宇宙から見れば、どれだけちっぽけなことか」と。それでも彼らは、いつもあなたの隣でちゃんと見守っています。だから、不安はいりません。迷ったら、シャボン玉に入って、ひと呼吸おいて、立ち止まって尋ねればいい。それをしないから、人間は遠回りをしてしまうのです。

― 魂の開花と体感 ―
魂は、光を浴びるほどに、花のように開いていきます。けれども、使い方を誤ると、かえって振り回されてしまいます。「ここまで見えたけど、でもね、もっと、もっと」と欲が出てしまうと、せっかく開いているのに、自分の欲のほうへ引っ張られてしまうのです。
反対に、エネルギーを感じ、それを体が体感として受け取れるようになると、「ああ、このまま進んでいいんだな」「今、ここで体が反応しているな」と、自然に受け取れるようになります。すると不思議と、気持ちがふっと軽くなります。あるのは、体感と体験だけ。理屈ではないのです。
「私はたくさんの光に手を差し伸べている。それでも受け取れないのは、人間には『体』という入れ物があるから」だと言います。本当はもともと光っているのに、自分が光れることさえ忘れてしまっている。それが今の私たちなのだそうです。